ププ解体新書④_サムネ

ププ解体新書④

「生まれつきそうだったのか、環境でそうなったのか」、これは永遠の課題でもありますが、私が義母と嫁を同時に観察した結果、嫁の場合は後天的のように思えます。


私も、この親子を観察するまで気づきませんでしたが、幼少期に話すことを諦めてしまうと、話す機会がないので記憶を外に出す必要がなくなり、他人に話す、別の言い方をすると説明する必要もないので、文章にする必要がなくなる。


そうなってくると、記憶や経験を上手に整理して結びつける必要も無くなっていく・・・。


これは、私の中では面白い例なのですが、カレーを作ったことがあっても、シチューを作れるようになるわけではないということです。


嫁の場合は、何度カレーを一緒に作っても、その都度どうしたらいいか聞いてくるわけですが(笑)。


義母と嫁にはたくさん共通点があるのですが、2人とも本を読みません。


本を読まない中にも、嫁には1つの傾向があって、「冷えとり健康法」とか、「自然療法」、「ヨガ」等のハウツー本や知識本を読むのは好きなのですが、例えば「竜馬がゆく」のような物語というか、ストーリーをちゃんと追わないと読めない本は苦手です。


ちなみに嫁に「子供の頃、読書感想文嫌いだったでしょ?」と聞いてみたら、やっぱり嫌いだったようです(笑)。



ただ、嫁には恐るべき能力がたくさんあって、例えば今インスタに投稿している漫画も、最初は私の無茶振りでした。


「ちょっと描いてみて?」


と言ったら、なんとなく描けたので、


「じゃ、漫画描いてみよっか?」


と始めてみたのですが、本当にそれなりに漫画を描けるようになるとは思いもよりませんでした。


あと、漫画を描くようになるまで、2人とも知らなかったのですが、嫁は背景や景色を自分の記憶から描くことが出来ます。


現在、私たちの漫画はMacを使ってイラストレーターで描いているのですが、普段スマホばかり見ている嫁は、パソコンは苦手だろうと思い込んでいましたが、最初こそ苦労したものの、あっという間に独学で使い方を覚えてスラスラ描いています。


私たちは昨年「開業届」を出して、生意気にも個人事業主だったりするわけですが、青色申告をやったことがなく、どうしようか悩んでいたら、嫁が弥生会計というオンラインの会計ソフトで、サクッと終わらせてくれてビックリしました。


今では私の髪の毛を切ってくれるのも嫁だし、基本面倒臭がりで自分のやりたいこと以外はやりたがらない嫁ですが、器用というか、今までやったことのないことでも、やってみると結果を残すというか・・・。


私なんかよりも元々持っているスペックがよっぽど高いです。



一方私は、子供の頃から素直じゃないというか、見た情報、聞いた情報をいちいち自分の頭の中で自分の言葉に翻訳しないと理解が出来ません。


そして自分で理解して納得出来たことじゃないと、何もしたくない人間です。


これは我ながら面倒くさい性分で、みんなと同じことをしていれば楽な場合でも、納得できなければ逆の方に行くし、協調性がない子供でした。


これは今考えると損することが多く、なぜ勉強しなきゃいけないか理解できなかった私は勉強をしませんでした。


子供の頃の私は、自分も将来大人になって「自分で生計を立てていかなければいけない」というイメージが全然湧かなかったんですね・・・。


私の個人的な意見としては、たとえ相手が子供でも、いや、まだ将来のある子供だからこそ「お金の教育」は大事だと思います。


私の実家もそうでしたが、日本はことお金に関しては「汚い」というイメージがあるのか、家計の話をするのはタブーで、ましてや子供の私がお金の話をすると怒られたものです。


求めすぎかもしれませんが、


「自分がどういう仕事でどのくらい稼ぎがあり、あなたが将来お金に困らないよう、選択肢がある大人になるためには、今は嫌でもこれはやらなきゃいけない」


という言い方をされれば、


「あー、勉強しなきゃ・・・」


と、理解出来たかもしれません。


私達、介護もあり残念ながらまだ子供がいないのですが、将来子供ができた時に、東京の朝の通勤ラッシュの電車とか一緒に乗って体験させたいとか思いますもの(笑)。


勉強が嫌いだった私は、中学の頃にビートルズと出会い、ギターばかり弾いていました。


頭の中身がリバプールになってしまった私は、英語も話せないのにスコットランドの首都、エジンバラに語学留学し、留学中に知り合ったヨーロッパの友達の家を転々としながらバックパッカーをした後、エジンバラに戻り、ハイストリートホステルという宿泊所で1年くらい働いていました。


これも今考えるとおかしな話で、スコットランドは訛りが強く、感覚的には、日本語を勉強しに山形に行ったという感じです。



海外での生活は、人間的にタフでないともちませんが、一度慣れてしまうと楽でしたねー。


世界中から若い貧乏旅行者が集まるハイストリートホステルは、それはもう個性的な人ばかりでした。


日本では初対面の場合、相手が年上かどうか、性別等々をある程度見極めてから人間関係が始まりますが、英語の社会では最初からジョンはジョン、それ以上でもそれ以下でもなく、その人をそのまま受け入れるというか、無駄に踏み込まず、いい意味でほおっておいてくれるというか、私には解放された楽な社会でした。


もともと協調性のなかった私は、この最初の海外生活を楽しみすぎて、日本に帰ってから非常に苦労しました。


なんていうか、こう、馴染めなくなってしまったというか・・・。


その後、日本の大学の通信教育で勉強しながら、コツコツ自分でお金を貯めて、30歳をすぎてオーストラリアの大学に留学したりして今に至ります。


私たち風々工房の密かな野望は、海外移住だったりするのですが、まあ、叶うかどうかはわかりません(笑)。


夢なんていうものは、全部が全部叶うとは限らないので、最初から小さくてはどうにもなりません。


最初は大きいくらいが丁度いいと思っています(笑)。




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