ププ解体新書③_サムネ

ププ解体新書③

言葉のキャッチボールをまともにする機会のなかった嫁は、まず子供の世界でつまづきました。


子供というのは残酷なのもので、自分たちと違う子、無抵抗な子を、からかったり、いじめたりしてしまいます。


何を言われても言い返せず、ただモジモジするだけの嫁は格好のイジメの対象になっていきました。


嫁が言うには、何を話していいか分からず、子供達に「やいのやいの」言われると、ますます頭の中がいっぱいになって喋れなくなったそうです。


せめて身近に味方が一人でもいれば良かったのですが、肝心の義母は無関心だし、相談できる相手も居なかった当時の嫁は、孤独だったのではないでしょうか。


私が歯がゆいと思うのは、そう言った孤独が日常だった嫁にとって、自分の置かれた状況以外は知りようもなく、それが普通で、自分の孤独さに気付く機会もなかったことです。


嫁は今でも人見知りで、初対面の人と話すのが苦手です。


なぜか、最初から私には言いたいことが言えたのですが、他の人には今でも言いたいことをうまく言えません。



嫁が転んで泣こうが、風邪をひこうが義母は関心を示さず、嫁は子供ながら意識的に、


「私は泣いても意味がないのかな・・・」


と、泣くのをやめたそうです。


今はちょいちょい泣きますが(笑)。


義母の方針だったのか、嫁は子供の頃の写真は殆ど残っていませんが、数少ない写真を見ると、笑顔がぎこちないですねー。


本人も笑顔の作り方が分からず、写真を撮られるのは苦手だったそうです。


感情表現も、言葉を話すのも苦手な嫁は、小学校に上がると女の子からいじめられるようになりました。



女の子って、ませてますよねー。


特に子供の頃は、明らかに男子より精神年齢が高いように見えたものです。


女の子同士なので、直接的な暴力はなかったようですが、仲良しグループに入れてもらえなかったり、出席番号が前後している女の子達から、机に挟まれて座れなくされたり、無視されたり、精神的ないじめだったようです。


とんねるずやウッチャンナンチャン等の、お笑い第三世代の洗礼を受けた嫁の唯一の楽しみはテレビで、その後お笑い第四世代にのめり込み、深夜までお笑い番組を観てはグフグフしていたそうです。


小学校高学年になると、自分の環境を変えたいと思った嫁は、一念発起して某有名私立中学の受験を決意します。


義母からすると、娘が有名私立中学に進学することは、自分にとっても見栄えがいいので協力的だったようです。


どうしても環境を変えたかった嫁は一生懸命勉強し、無事、某有名私立中学に合格しましたが、入学して目標を達成してしまった嫁は燃え尽きてしまい、この時が嫁の人生の一つのピークだったようです。


中学に上がると、いじめは無くなりましたが、異常な睡魔に襲われ、授業中は殆ど寝て過ごしたそうです。


それを聞いた私は、


「夜遅くまでお笑い番組ばっかり観てたからじゃないの〜?」


と、からかっていましたが、最近NHKで思春期の子供の「起立性調節障害」という自律神経の異常からくる障害の特集をやっていました。


今となっては分かりませんが、もしかして嫁は起立性調節障害だったのかもしれません。


授業中は寝てばかりいて、勉強は落ちこぼれてしまいましたが、中高エスカレーター式の学校だったので、文化祭では友人とお笑いコンビを組んでシュールなコントをしたりと、割と平和な学生時代だったようです。


それでも、その頃の写真を見ると、まだ笑顔が硬いですねー(笑)。


感情や表情を表に出すのは苦手そうです。


ほとんど100%の卒業生が、系列の短大か大学に進学する中、勉強に興味のなかった嫁は、服飾の専門学校に進学しました。


恐らく、その有名私立校創立以来の専門学校進学だったのではないでしょうか(笑)。


せっかく服飾関係の学校を出ているなら、ボタンホールの補強とか、古着の補修は嫁にお願いしたいのですが、我が家ではもっぱら私が担当しています。


不思議です(笑)。


卒業しても、就職の意味もよく分からず関心のなかった嫁は、専門学校時代に始めた「某飲食店」のアルバイトをその後10年間続けることになります。


某飲食店時代のストーリーは「凸凹夫婦」に詳しいので、よろしければご覧ください。


それまで「人間関係」を築くことが出来ず、無風状態で真っ白だった嫁は、


「ここなら私でも頑張れば認められるんだ」


と、某飲食店のマニュアル通り、オーナーの望み通りの理想的なアルバイトになっていきました。




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