晩婚だった義母は、40歳を過ぎて嫁を産んだ後、間も無く離婚し、嫁は父親の顔を知らずに育ちました。
ありがちな話ですが、子供の頃から父親の悪口を聞かされて育ったので、その後数回会う機会はあったそうですが、とくに肉親という感情も起きず疎遠になっているうちに、亡くなってしまったそうです。
義母の口から嫁の父親の話が出ることはなかったので、今となっては義父のお墓の場所も分かりません。
とは言え、恐らく生前に義母に聞いてみても、義父のお墓の場所を知っていたようにも思えませんが・・・。
その後、借金問題等で義母の正体が分かるに従い、実は義母にこそ非があったのではないかと思うに至り、今更ながら嫁は、もっとちゃんと父親に会っておけばと後悔しています。
私たち二人の「やらなきゃいけないリスト」の一つでもあるのですが、いずれ調べてお墓詣りに2人で行こうと思います。
義母は保険の営業をしていて、私が義母と初めて会った頃は、定年退職後に嘱託として働いていました。
派手で元気な義母でしたが、私はその頃から違和感を感じ始めていました。
ある日、観葉植物を購入するので男手が欲しいということで、手伝いに行きました。
義母いわく緑がないと生きていけないそうで、そこそこ大きな観葉植物を、えっちらおっちら嫁の実家に運びました。
「どこに置きましょうかー?」なんて話しながら周りを見渡すと、鉢植えもプランターも部屋の中にたくさんあるのですが、全部枯れています・・・。
どうして水をあげたり、面倒を見てあげないのか聞いてみると、
「また買うからいいのよー」
とのこと・・・。
底抜けの笑顔でそう言う義母を見て、ちょっとゾクッとしました。
私の質問に答えていないというのもそうですが、なんて言うんでしょう、感情が欠けていると言うか、共感力に欠けていると言うか・・・。
何か、違う生き物と話しているような感覚でした。
あの「私は緑が大好き」アピールは、緑が好きなのではなく、「緑が好きだ」と言っている自分が好きだったのでしょう。
冷蔵庫を開ければ大量の賞味期限の切れたドレッシング、戸棚を開ければ大量の醤油、アルミホイル・・・、その頃からすでに、なにか壊れ始めていたのかもしれません・・・。
基本的に自分のこと以外に、関心が無い人のように見えました。
嫁はあまり自分の話をうまく出来ないので、ここからは私が嫁に断片的に聞いた話と、2人を観察してきた私の想像が入ってきます。
大人になってもそうですが、義母にとって嫁はアクセサリーというか、義母のための存在だったように思います。
嫁をこっそり連帯保証人にして、多額の借金をしていたことは、一番分かりやすい例だったのかなー、と思ったりします。
アクセサリーに「感情」や、「個性」が必要なはずもなく、義母にとって嫁は、あの可哀想な鉢植えの植物と一緒で、
「必要な時だけ、そこにいてくれればいい」
「必要な時だけ、喋ってくれればいい」
という存在だったのでしょう。
母子家庭で育ち、身近な大人が義母しかいなかった嫁は、せっかく言葉を覚えて話しかけても、「うるさいわね!」と拒絶され、義母が話して欲しい時にうまく話せないと、「つまらない子ね!」と言われてしまう・・・。
自分が楽しくしている分には構わないけど、娘が楽しそうにしているのは何故か許せなかったのでしょう。
義母とのコミュケーションに失敗してしまった嫁は、自分から話すこと、子供らしく周りの関心を引くことを、早い段階で諦めてしまったように思います。
これは同居してから気づいたのですが、義母は「ありがとう」、「ごめんなさい」を言わない人でした。
私たちの将来の子供用貯金をはたいて義母の借金を返しても、毎日ご飯を作っても、義母の口から「ありがとう」や、「ごめんなさい」という言葉を聞いたことがありませんでした。
「だから嫁も、ありがとう、ごめんなさいが言えなかったんだ」と、後々納得しました。
手本、雛形となる身近な大人が義母しか居なかった嫁は、それが普通と思って成長していきました。
義母の常識と、外の一般社会との常識のギャップが、この後の嫁の人生に大きく影を落としていきます・・・。
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