いよいよ同居が始まりました・・・。
この頃は一番辛い時期で、まあ思い出したくない。
普段から思い出さないように心がけていると、人間というものは本当に忘れていくんですね。
インスタに漫画を描いていた頃は、まだ同居していた頃から日が浅いこともあり、今よりは記憶が鮮明でしたが、いざ単行本を描き出すと驚くほど忘れていて、インスタの漫画を読み返さないと思い出せませんでした。
いざ読み返してみると、まあ絵が荒れている。
頂くコメントが一気に増えたのもこの頃で、当の本人達ですら、もっとやりようがあったのではと思うこともあるので、リアルタイムでインスタの漫画を読んでらっしゃった方の中には、歯がゆい思いをされた方もいらっしゃったかもしれません。
「貧すれば窮する」とはよく言ったもので、本当にこの頃は毎日毎日のことで精一杯で、頭が回らない状況でした。
同居してからは、旦那とププのお母さんの話がメインでププがほとんど出てきません。
それには理由があります。
家族というのは一番身近な人間関係で、例えが適切か分からないのですが、ある意味ジャンケンのキャラクターを演じているみたいな所があると思います。
私たちの場合だと、私はププに弱いグー、ププは母親に弱いパー、ププのお母さんは私に弱いチョキという感じで、それぞれのキャラクターを演じていたような気がしてなりません。
この「演じてる」という部分に違和感を覚える方もいらっしゃるかもしれません。
ただ、それくらい客観的に自分を俯瞰で見ないと気持ちが持ちませんでした。
私の観察している限り、おそらくププのお母さんは、その人生の相当な期間「それをやってはダメ」と言われたことがない自由な人でした。
その自由なお母さんに振り回されて育ったププと母親の関係は、健康的な親子関係というよりも「主従関係」に近いものだったように思えます。
この子供の頃から培われた主従関係は厄介なもので、ププは母親にどんなに理不尽なことを言われても強く言い返すことができませんでした。
どうして私がそんなことを知っているかというと、実際にこの目で見てきたからです。
ププのお母さんは、ププの前では「いつまでもププよりも強い母親」を過剰に演じているように見えました。
具体的にいうと、ププのお母さんは私と二人でいる時も文句の多い人でしたが、そこに娘のププが加わると、
「私は今でも自由よ!」
と、いつも以上に言動と行動が自由になります。
今思うと、彼女の中で「何にも屈しない自由さ」が「いつまでもププよりも強い母親」を演じる表現方法だったのかもしれません。
演じているとはいっても、実際に生きているのは現実世界なわけで、実際にどういうことが起こるかというと、要は同居前の「無意識のうちに無銭飲食をするレベル」まで戻ります。
こうなると今までの努力が水の泡というか、そこからまた同居できるレベルまで一から人間関係を作り直さなければいけません。
当時の私にできることは、ププとププのお母さんが接触しないようにすることと、ギリギリ一緒に生活できる範囲に収まるよう、「ダメなものはダメ」と言い続けることでした。
お互いに理解し合えない、いつまでも他人のような人間関係しか作れなかった遥か年上の成人女性に対して「ダメなものはダメ」と言い続ける作業は、
「自分は嫁の母親よりも強いキャラクターを演じているんだ」
とでも思い込まないとやっていけないくらい精神力を削られる作業でした。
とは言え、同じ屋根の下に住んでいるので、ププとププのお母さんの接触を100%阻止することはできません。
私たちの同居生活は、
ププと接触→自由になったププのお母さん→ギリギリ我慢できるまで「ダメなものはダメ」と言い続ける→ププと接触→自由になったププのお母さん・・・
このループでした。
そんなわけで8巻にはププがほとんど出てきません。
この頃は我が家にとって、頑張ればなんとかなるとは到底信じられない、かといって目の前のことを頑張るしか選択肢がない、でもなんのため頑張っているか分からない、という一番辛い時期でした。
9巻は色々諦めて私たちなりの幸せに辿り着く予定です。












コメントを残す