新元号が決まりましたねー。
「令和」ですか・・・。
社会の底辺を味わってきた者として、素直に喜べないのは私だけでしょうか?
テレビのニュースで新元号を絶賛している人々を見ていると、ますます冷めてしまう自分がいます・・・。
10代の頃平成に変わり、なんだか分からないけどワクワクしたものです。
あまり理解出来てなかっただけなのですが(笑)。
平成・・・、色々考えてしまいます。
平成は、色々な意味で日本に制度疲労が起こった時代だと思います。
専門家ではないので、詳しい話は分かりませんが、日本の年金制度、税金制度は戦後の日本が奇跡の復興を遂げて、人口もどんどん増えていた時代に作られていたものではないでしょうか。
私はどんなものにも寿命があると思うのですが、政策、制度にも寿命があり、社会が変わればその都度メンテナンスを施し、必要とあれば、大きく変えなければいけないこともあるでしょう。
良くも悪くも今の日本を作ったのは、戦後ほとんどの時期で政権を担ってきた自民党でしょうし、対抗できる政党を作ることができなかったのは、私達国民のせいかもしれません。
私は今の日本に「政治屋」はいても、「政治家」はいないように思えます。
選挙に勝てば、「先生、先生」と奉られ、選挙に負ければただの人になってしまう世界で、有権者に厳しい政策を掲げられる政治家さんはいないでしょう。
そんなことをすれば落選してただの人になってしまいますものね。
企業等の組織票も、当然自分の得になる議員さんのために票を集めるだろうし、議員さんだって次の選挙にも当選したいから応援してくれる企業、組織等の利益になるよう政治を行うでしょう。
個人のレベルでも、とくに地方に行くほど有権者と政治家の利害関係が近いように見えます。
政策、制度を作るにしても、一番人口の多い、いわゆる「団塊の世代」に厳しい政策を作ると当選できないので、どうしても人口が少なく、選挙で票が集められない若年層には厳しい政策になっていくのも、「政治屋」としてはやむを得ないでしょう。
義母の介護をしている時に思い知らされましたが、私には世の中のこと全てに値段がついているように思えてなりません。
やりたいことをするにもお金がかかるし、やりたくないことに「いやだ」と言うにもお金はかかる。
ましてや、国を動かす政治はお金、つまり税金抜きに語ることは出来ません。
私は予算というものは、ゼロサムゲームだと思っています。
ゼロサムゲームというのは、例えば一枚のピザを思い浮かべて頂くと、誰かが他の人より余分に大きなピザのピースを食べてしまうと、他の誰かが食べるピザが少なくなると言う考え方です。
国家予算はまさにゼロサムゲームで、こちらの予算を増やすと、必ず割りを食って予算を減らされるところが出てきます。
当然なるべく有権者の多い層に予算を割くほうが次の選挙に勝ちやすい。
とは言ってもどんどん少子高齢化が進み、若年層も手厚くしなければ、肝心の将来税金を払う人がいなくなってしまう・・・。
税収がどんどん減るなかで、予算が必要なところはどんどん増えていく・・・。
そうなると政府の借金生活が始まり、今や積もり積もって1000兆円以上の借金・・・。
年金も運用を間違ったのか、人口が多い時に無駄遣いしすぎたのか、私達の世代は年金をもらえるかどうかも分からない。
もらえたとしても自分が払ってきた額よりも少ない。
例えば上の世代は1000円払って1200円もらえるのに対し、私たちの世代はもらえても800円。
そう言えば、山形にもかつて厚生年金休暇センターという温泉に格安で入れる上、ジムも休憩どころも完備している、至れり尽くせりの立派な施設がありました。
年金の受給開始年齢も、65歳に上がり、70歳にしようと検討中。
政府は勝手に「人生100年」と言っているようですが、確かに元気な高齢者の方々も増えたのは間違いないのですが、義母の介護を体験してみて思うのは、とくに70歳を超えると個人差が激しく、みんな一緒に「元気な100歳」とはいかないということです。
大人用おむつの売上高が子供用のおむつの売上高を超えたのが2013年・・・、象徴的なニュースとして記憶しています。
そもそも現在の年金制度は昭和30年(1955年)頃に設計されたもので、当時の平均寿命が65歳、定年退職は55歳の時代に、「人生最後の10年」を「健康で文化的な生活」を送れるように設計されたようです。
2020年を迎えようとする現在、綻びが見えてくるのも当然かもしれません。
そうしている間にも、社会的不安からか少子化はどんどん進み、国土交通省が2014年に発表した「消滅可能性都市」によると、2040年には今現在、全国にある1799の市区町村のうち、896で消滅の可能性があるとのこと。
PDFファイルでスマホからだと読みにくいかもしれませんが、一応外部リンクを貼っておきますね。
「予算=お金」は血液である以上、人口が減って税収が減る中、はたして人口が少ない市区町村にを含め、日本全国、隅々まで血液を行き渡らせる体力が、果たして将来の日本にあるでしょうか?
例えに出して大変申し訳ないですが、私は、日本全国的に、財政の破綻してしまった北海道の夕張市のようになっていくように思います。
↓これも外部リンクです。
外部リンク「NHKスペシャル取材班: 夕張市破綻から10年『衝撃のその後』若者は去り、税金は上がり…」
必然的に税金も年金も保険も上がっていくなか、ちょうど私の世代でもある「就職氷河期世代」の頑張っても、頑張りたくても、真っ当な社会の歯車に入ることができない非正規雇用という階層。
例え非正規雇用でも、上の世代を支える義務からは逃れられず、昨年(2018)からは年間所得が300万円以上で、年金の支払いを滞納すると差し押さえにあってしまう・・・。
政府の必死さを感じてしまうのは、私だけでしょうか・・・?
今年(2019)、10月1日からは消費税10%・・・。
私の予想では東京オリンピックの後に、何らかの形で政府が牙を剥いてくるような気がしてなりません。
また、そうしなければ日本自体がもたないのかもしれません。
挙げ句の果てに、テレビをつけると偉い学者さんが「南海トラフ地震はこれから7年以内にくる」、「いやいや首都圏直下型地震だ」と討論しています・・・。
私のような凡人には、どの問題も解決方法が見当たりません・・・。
後世の歴史家が、私達の時代を振り返った時、
「平成は終わりの始まりで、令和は日本が終わった時代です」
とならないよう、切に願います。
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