O型の私、ほとんどO型で、変な時に本来のA型が出る嫁。
私はジップロックが苦手ですが、嫁はジップロックが得意です。
私は眩しいと「くしゃみ」が出ますが、嫁は眩しくても「くしゃみ」が出ません。
私はピーラーを使えますが、嫁はピーラーを使えません。
私は方向音痴で地図も読めませんが、嫁は頭の中に地図があり、どっちの方角が北か、どこに行っても分かります。
香港でもこの能力が発揮された時は驚きました。
私は人並みに料理をしますが、嫁は料理が出来ません。
私にとってレシピは物語のようなもので、一度作れば覚えるし、外で食べたものもだいたい再現できます。
料理と言っても「煮る、焼く、揚げる」、調味料も「塩、胡椒、お醤油、お味噌」くらいしか使わないので、料理ができるもなにもないのですが(笑)。
嫁はレシピを見ないと作れないし、目分量が出来ません。
何回作ってもレシピを覚えないので、その都度初めて作るかのように一からレシピを見るし、調味料も正確に計ります。
料理はレシピを守ることではなくて、美味しいものを作ることだと思っている私は、作るたびにやり方が違うし、すべて目分量のなので調味料を計ったりするのも苦手です。
今はそれぞれの特徴を生かして、普段の料理はアバウトな私が担当。
色々分量を計らなければいけない手作りビール、お味噌、梅干し等は、嫁が担当しています。
そんな凸凹夫婦の私たちが出会ったのは職場でした。
当時はリーマンブラザーズショック直後の時代。
私の勤めていたトルコの商社も倒産して、どうしていいか分からない時期でした。
再就職先を探し50社以上応募するも、不景気で全く採用されませんでした。
海外展開をしている飲食業なら語学力も生かせるし、将来海外で働ける可能性もあるかもしれない、ハードルも低かろうと応募して採用されたのが、嫁の勤める某フランチャイズでした。
いい歳をして、某フランチャイズの制服を着た鏡に映る自分を見て、初日から気持ちが萎えてしまった私ですが、20代を某フランチャイズに捧げた嫁は一番脂の乗っている時期で、「鬼軍曹」と呼ばれていました。
そのフランチャイズでは、将来独立して自分の店を持ちたい者が社員、そうではない者がアルバイトという括りでした。
嫁はアルバイトという立場ではあるものの、一つの店の「責任者」を任せられるほど仕事が出来て、他の店に社員の欠員ができれば「店長代行」としてヘルプに行くなど、その某フランチャイズでは伝説のアルバイトと言っていい存在でした。
何より彼女が凄かったところは、アルバイトで独立するつもりもないのに、社員の憧れ「独立できる資格」を持っていたことです。
そこに一回り位年の離れた私が、社員として入ってきたんですね(笑)。
初対面の嫁は、翌日のサラダに使う野菜を発注するために、しゃがんでキャベツを数えていました。
他のスタッフに促されて挨拶に行くと、嫁は奇妙な威圧感を放ちながら立ち上がりました。
そしたらちっちゃいんですね(笑)。
威圧感とのギャップで私は内心笑ってしまい、それ以降レゴブロックにしか見えなくなりました(笑)。
嫁は嫁で、白髪の多い私を見て「おじいちゃん」と思ったらしく、それ以降思っただけではなく、実際に私を「おじいちゃん」と呼ぶようになりました。
失礼ですよね(笑)。
某フランチャイズは、私に言わせると修羅の国でした。
その某フランチャイズは、本社の直営店と、独立したオーナーのフランチャイズ店の2系列があり、当然独立したオーナーのフランチャイズは、そのオーナーの個性が色濃く反映されます。
ですので、「どこのお店でも私たちが働いていたところと一緒ではない」ということをご理解いただければ幸いです(笑)。
独立希望の社員が、将来独立できるかどうかはオーナーに気に入られるかどうかにかかっています。
評価基準はマイナス評価だけ。一番良くてゼロ。プラス評価になることはありません。
日報を書かなかったと言っては給料を引かれ、皿を割ったと言えば給料を引かれ、オーナーに嫌われると給料が手取りで10万円を切ってしまう・・・。
どこに爆弾があるか分からないオーナーで、滅多に会うことはないのですが、昨日まで普通に接していたのに、ある日突然手の平を返すように待遇が変わるというのもよくある話でした。
私が在籍した間も、何人も社員が辞めていくのを見送りました。
なんていうんでしょう、子供がマジンガーZを運転しているというか、「法人」ではなく「個人」というか・・・、まさに「オーナーは神」という会社でした。
だんだん潜入レポみたいになってきましたが(笑)、そんな中でマニュアルが苦手、決められたことをするのが苦手な私は、仕事が出来ませんでした。
海外に行くのが目的で社員になった私にとって、他の社員と同じように早く調理を覚えて店を任せられるようなり、早く自分の店を持ちたいという願望が、最初からなかったのも原因だったかもしれませんが、「そのフランチャイズに染まり切りたくなかった」というのが、今思うと一番の理由だったように思います。
某フランチャイズの中では、日本で2番目に売り上げが多い店だったということもあり、ランチのピーク時には外に行列ができて、来客数は100人を超えるのに、少数精鋭の6人で回すという鬼のようなシフトで、私の駄目さはより際立ちましたねー。
最初はハンディと呼ばれる注文を取る機械も使えないし、ランチのピークのテーブル席は相席が当たり前だったので、方向音痴の私はどこに提供をしていいか分からなくなる、「提供迷子」によくなっていました。
洗い場に立っても、次から次へとやってくるお皿を捌ききれず、2時を回っても皿洗いを終わらせない私を見かねて、嫁がよく手伝ってくれました。
この嫁の洗い方が半端なく、お湯と洗剤を貯めたステンレス製のシンクを、お寺の鐘のように「ゴ〜ン、ゴ〜ン」と鳴らしながら、魔術師のように大きな食洗機を使いこなします。
当時の嫁は、厨房に入ればテキパキと調理して、的確な指示をホールにとばし、何をやっても鬼のようなスピードでこなせる、超人のように私の目には映りました。
もう、おじいちゃんと言われてもしょうがないですよね(笑)。
嫁は職場の大先輩で、ちょっと怖い人でした。
当時の私は嫁によく怒られていました。
サラダの分量が多いと言っては怒られ、提供迷子になっては怒られ、洗い場のお湯を交換しては怒られ・・・。
24時間営業の店舗だったので、夜11時に夜勤シフトの人達と入れ替わるのですが、それは気持ちよく仕事をしてもらいたいので、洗い場のお湯も入れ替えるじゃないですか。
でも嫁は、
「水道代もガス代もオーナー様のお金よ!もったいないでしょ!」
と怒るのです。
洗い場のシンクは、カレーのようにドロドロです・・・。
「なんか宗教みたいだな・・・、洗脳されてるのかな・・・」と怖くなりました。
でも、その上がいたんですね。アルバイトの店長代理の嫁の上に「キュウリ店長」がいました。
次回は割と人気キャラクターだった、キュウリ店長の登場です。
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