6巻は同居前夜のお話です。
同じところをグルグル回ってる感じがして、正直読みにくいと感じる方もいらっしゃったのではないでしょうか。
それは正しいです。
もっと他にやりようがあっただろうにと、歯がゆく感じる方もいらっしゃるでしょう。
それも正しいです。
渦中にいた当時、普通に生活していたら起こり得ないことが次々と起こり、対応に追われている間にまた新しいことが起こるという事の繰り返しで、私達には全体像を把握する余裕すらありませんでした。
大人用おむつの国内市場規模が子供用おむつを追い抜いたと大きなニュースになった2012年、ププのお母さんの問題が色々と表面化しだしたのも、ちょうどこの頃です。
想像力が足りない上に愚かな私は、少子高齢化と言われても税金が上がって大変になるな位にしか思っていませんでした。
2025年には国民の約3人に1人が65歳以上、約5人に1人が75歳以上になると言われても、ただの数字としてしか見えておらず、高齢者の起こし得る問題について考えてみたこともありませんでした。
普通の高齢者と問題のある高齢者は、たまに会う程度のお付き合いで済んでいるうちは、お互いにそこまで興味もないので見分けがつかないものです。
外見上は朗らな気のいい高齢者に見えても、実際は心の内に抱えている闇を育てている場合があります。
厄介なのは他人からみると闇以外の何物でもないのに、本人には全く自覚がないどころか、普通の生活をしていると思っているところです。
闇が小さい内に周囲が気付ければいいのですが、本人は普通のことをしているつもりなので、わざわざ周りに話すこともありません。
この静かに誰にも気づかれないところで膨らみに膨らんだ闇が臨界点に達して爆発すると、周りを巻き込んで不幸にします。
闇が爆発するとどうなるかというと、私たちの場合はまず会話が通じなくなりました。
いや、これは会話が通じなくなったというより、ププのお母さんとは会話が通じないということに「気付いた」という方が正しいかもしれません。
「ここで笑うと私人間に見えるかしら」
という感じで、おかしなタイミングで笑い出したり、なんていうんでしょう、人間以外の何かが人間のフリをしているというんでしょうか、ちゃんとした話をしようとすればするほど、強い違和感を感じるようにりました。
相槌を打つのは上手だったので、理解しているものとして話を進めると、次に会いに言った時にはまた新しいクレジットカードを作っている・・・。
核心部分になると見せるポカン顔、本人はウソをついたつもりは全くなかったのでしょう。
全て終わった今だからこそ分かったというか、自分の中で何度も何度も反芻して整理をつけた後に振り返ってみると、覚えてなかったというより、単純に私たちが何を言ってるか理解できなかったのかなと思います。
「理解をしていないけど相槌を打つのだけは上手い」
分かってしまうと簡単なトリックなのに、気づくのに随分と時間がかかって、当時はたくさん無駄なお金が出ていってしまいました・・・。
ププのお母さんを観察して気付いたことは、世の中に自分を高齢者と思っている高齢者はいません。
自分を認知症と思っている認知症の人もいません。
自分にとって都合のいい時、あるいは都合が悪い時だけ、
「私もう年なんだからもっと大事にしてよー」
と甘えたりしますが、実際には自分のことを年寄りなんて思っていないものです。
本人に自覚がないとどうなるかというと、周りからみて問題があっても本人にしてみると、
「昔から私はこうやって生きてきたんだから、何で今更あんた達にそんなこと言われなきゃいけないのよ?」
「病院なんて行かないわよ! 年寄り扱いして失礼ね!」
ということになります。
結局、今になっても元々の性格だったのか、認知症だったのか分かりません。
私たちは「分からない」という色々な心のモヤモヤを抱えたまま、ププのお母さんと同居することになりました・・・。
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